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桜玉吉とつげ義春を比較すると?(其の参) [桜玉吉とつげ義春]

ダ・ヴィンチ電子ナビで、「『週刊文春』連載開始でまさかの大ブレイクの予感!伝説のマンガ家・桜玉吉とは何者なのか?」ともてはやされていたので、元祖伝説のマンガ家・つげ義春と比較してみたいと思う。
以降の記述は『桜玉吉のかたち』、『つげ義春とぼく』、Wikipediaを参考にしました。

■中堅漫画家として
◇桜玉吉
1994年、33歳の時に『しあわせのかたち』終了。理由は玉吉本人から連載終了の要望が出されたため。背景には、連載を複数抱えオーバーワーク気味だったため。連載終了後、数ヶ月の休養を経て『週刊ファミコン通信増刊ファミコミ』で『トル玉の大冒険』、つづいて1995年から『月刊コミックビーム』で『漫玉』シリーズの連載開始。2007年に鬱病が重篤になるまで、連載・休載を繰り返す。ゲームのパロディを中心とした作風は、『しあわせのかたち』後期から絵日記漫画に移行し、現在に至る。
◇つげ義春
1967年、30歳の時に代表作『李さん一家』、『紅い花』を発表する。特に『李さん一家』のオチは『うる星やつら』で模倣されるなど、後の漫画家に大きな影響を与えた。またこの年に初めての一人旅として東北の温泉めぐりを経験している。更に翌年には最高傑作であろう『ねじ式』を発表する。1970年、33歳にしてつげブームが起こり、生活に安定感が増す。しかし、その蓄えも長くは続かず、1985年、48歳で『無能の人』を発表するまで、持病のノイローゼ、家計の不安定は続いた。
【まとめ】
33歳という歳は、桜玉吉にとって『しあわせのかたち』の連載終了を意味し、つげ義春にとってつげブームの到来という節目になった。とはいえ玉吉は継続して『防衛漫玉日記』、『幽玄漫玉日記』、『御緩漫玉日記』の『漫玉』シリーズを描き続け、別荘まで購入した。対してつげ義春は寡作な性格とも相まって、作品の評価に対する金銭的な対価に恵まれなかった。又、36歳で鬱病を発症した玉吉、38歳でノイローゼが進行したつげには、根拠のない因縁を感じる。また両氏に共通していえるのは、40歳前後で漫画家を辞めようと考えたことだ。結果、漫画を描く以外に身を立てれないと気づかされる。漫画を描くのは嫌だけど、描かないと貧困になり、体調の悪化を招くという因果な身の上になってしまった。

芸術新潮 2014年 01月号 [雑誌]

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  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2013/12/25
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